PROFILE

プロフィール

君嶋哲至

 
 
1960年横浜生まれ
明治25年創業の酒販店の4代目で、ワインと和酒卸販売業、ワインの直輸入を行う。
”角打ち”と呼ばれる立ち飲みのある酒屋に生れ育ち、人情味のある常連のお客さん達に可愛がられて育つ。 大学を卒業後2年間のサラリーマン生活を経験後、実家の酒販店に入社。 無名でも質が良く生産者の顔が見えるお酒を扱う「セレクトショップ」をモットーに、 横浜君嶋屋本店の他に、 銀座君嶋屋・恵比寿君嶋屋の2店舗を経営。 日本ソムリエ協会副会長でもあり、書籍の監修から講演など、お酒の魅力を国内外へ積極的に発信し続け、 業界の発展に奮励。ミュージシャンとしての一面では、音楽とお酒とのコラボレーションで横浜を盛り上げるイベントでも活躍中。

四代目が語る情熱物語


酒との出会い

僕が産まれた酒屋「君嶋屋」は、関内~伊勢佐木町から続く通称おさん通りにあり、そこは賑やかな下町の商店街にありました。 昼間から労働者の方々などの立ち飲みで繁盛し、子供の頃はお客さんからも可愛がられ、給料日には常連の方が気前よくレコードを買ってくれるような、懐かしい人情味ある下町でした。
のちに音楽に目覚め、19歳ではじめたパンクバンドでボーカルとギターに熱中。大学を卒業してからは、ミュージシャンになる夢を持ちながらも健康食品会社に入社して、営業マンとして日々頑張っていたんです。 先代である父の体調が悪化したことで、仕方なく家業を継ぐことになったわけで、当時はこの店が80年も続いているとは思っていませんでした。
 酒屋といっても、昔ながらの「角打ち」という立ち飲みの店で、現在のように業務用に飲食店に卸したりしていなかったんです。 酒は酔うために飲むものと思っていた当時は、自分の商売の在り方をどうしようか悩んでいましたね。
  入社以来、酒好きの友人が多い地元での生活でしたが、趣味の音楽活動は続いていて、ある時、音楽仲間が集まるバー「キャッツ&ドッグ」のマスターから日本酒の「満寿泉」を教えられまして、「世の中にもこんな旨い酒があるのか!」と衝撃を受けたのです。早速、この酒を仕入れようと酒蔵に連絡してはみたものの、最初は「数に限りあるのでお分けできない」とけんもほろろに断られました。

しかし、蔵元のみなさんはとても心優しく、かつての営業マインドで熱いアタックし続けることで親交を深め、その後、満寿泉・〆張鶴・天狗舞の3銘柄を取り扱うことができるようになりました。これが、地酒の店として展開していくきっかけです。

世界を知る

80年代の後半に、海外派遣団として初めてフランスのチューリヒ、イギリスのロンドン、フランスのトゥールダルジャンに出向きました。 それは、お酒をテーマにした派遣ではなかったものの、海外の食と酒を肌で感じられるよい機会に恵まれたと思います。 その中のメンバーである金沢文庫の田島屋さんに「ワインも勉強した方がいいよ」と助言をいただき、岩野貞雄氏のワイン教室に月1で通うように。 地質・醸造・テロワールといった学問としてのワインを学び、ワイナリーツアーにも幾度となく参加しました。
こうした会合や交流などの人脈の中でワイン会などを開催するようになり、店にワインを並べ始めるようになったのです。
 
 その後、ワインを通じてますます多くの方々と出会い、数年後には、ロワゾーブルーで一流レストランのシェフを招いて試飲会を開催するようになりました。 ワインを深く知るようになってからは、当時流行していた「飲みやすい水のような日本酒」に魅力を感じなくなっていたことも事実で、きれいな中にも奥行きや深みがある酒を求めるようになっていきました。 日本の酒も海外の酒も、酒を造るための土壌や素材づくりに対する造り手の本気度や、優れた食べ物を造り出すことへの情熱の必要性を強く感じるようになったのもこのころで、大げさな言い方かもしれませんが、様々な歴史の中で先代からの伝統を受け継ぎ、文化を深化させていくことの素晴らしさ、家族や大切な人と食事を楽しむあたたかく豊かなライフスタイル。そうした幸せな時間を生み出すことの意義を感じるようになったわけです。

 

その道を極める

  90年代の後半にはスタッフの成長とともに店売りから業務用販売にシフトしていくようになりまして、これまで出会ってきた多くの方々からの機会を得て、一流レストランやホテルとの取引も増え、自分が評価する酒が市場に受け入れられていくことに喜びを感じるようになりました。その頃、田崎ワイン勉強会に参加するようにもなりましたね。幾度なく買い付けツアーなどに参加していくうちに、自分の信念や感性を信じ、良い生産者に出会えたら契約をするようになったのもこの頃です。
97年になると、個人を集めてワインバーを出すようになり、丸の内店を開設した後、店舗スペースを広げるため銀座に移転しました。このあたりの経験の中で「食中酒への道」、いわゆる専門性を追求する方向性に向かったと思います。
 
食はやらないのですかと尋ねられることもあるのですが、私の考えでは、食は食、酒は酒の専門性があるということ。 自信のある事をすることが、いい仕事につながり、逆に言うと自信のない事はしないということです。 昔、横浜君屋嶋屋は立ち飲みで生計を立ててきました。それは長く家業としてやってきたことで、今でも弊社のバックボーンです。
それを時代に合わせて展開しているのが、銀座店と恵比寿店にあるスタンディングバーですね。

 
日頃から、酒はセレクト次第で世を滅ぼしもするし害にもなると考えています。ですから、何よりも原材料や安全性、トレーサビリティ-においては妥協をしてはいけないと思っています。 大切な人や仲間と美味しい食事と酒をいただくことで、幸せで楽しい時間を過ごすことができます。
多くの方が幸福で豊かな人生を楽しめるために、これからも情熱ある造り手を応援し、情熱を持ってお客様にお届けしたいと考えています。